2/4ヤモリ倶楽部運気(2/4~3/5)、干支&年柱の星を見てみよう【4件】

*ご質問の回答は青色の文字、ご感想の返答はピンクの文字になっています。


(1)

こんばんは。フラッシュです。

命式ふかふかプログラム、とても楽しかったです。

特に年柱のお話はかなり頷きました。

実はずっとずっと、年柱って本当に10%なの…?とモヤモヤしてました。自分自身、30代になっても年柱の要素強いよな…と思っていたからです。

職場の50代の女性も年柱要素強いなぁと思っていたので、今回のお話を聞けて、やっとモヤモヤが晴れました。年柱の要素はきっとずっと影響してくると思います。

年柱の通変星がその人の本性というのは、まさにです!

私は年柱の通変星が劫財ですが、優子さんや慶子さんの所有欲のお話や泣きわめく話が自分にも当てはまりすぎて笑いました。

今3歳の姪っ子も同じ場所に劫財があり、欲しいものが手に入らないと泣きわめくというのを目の当たりにして「おぉ、これが劫財か…」と、四柱推命って本当に当たるなぁと思って見ています。お陰で、年柱が比肩、比肩、長生の兄ではなく、私の子なんじゃないのと親から茶化されます。

慶子さんの中級講座で、私は主星の傷官が強めと言われましたが、ガガ様の電車でのお話を聞いて、「私はそこで傷官出ない…」と思ったので、やっぱり本性劫財なんだと思います。中級講座中にも、「私はこんな風になりたいです」と言って、慶子さんのメッセンジャーに私の思う劫財っぽいキャラクターである進撃の巨人のアルミンの動画を送りつけたのは秘密です。

また、年柱の蔵干通変星が印綬で、母親はもれなく過干渉でした。しかし、上が劫財の下が沐浴に挟まれていたため、それを鬱陶しく思い、一刻も早く実家を出たいとずーーーっと思っていました。無事に家を出た今は、厚着させられた愛を思い出しては涙するようになりました。

ただ、年柱沐浴ですが脱いだりはしてなかったと思います汗

年柱や月柱の干支も当てはまるなぁと思います。私は日柱が丙ですが、年柱が丁で、日柱と年柱が丙に挟まれている兄や、年柱が丙の兄の学年の人たちと比べると、私も私の学年の人たちも全体的におとなしかったように思います。

また、好き嫌いが激しいのは傷官のせいかと思っていたのですが、改めて初級のテキストを見返してみると、月柱の癸のところにも、年柱の丁のところにも、好き嫌いが激しいと書いてありました。あぁ、そりゃそうだよね、と納得しました。

逆に言うと、それぞれの干支や通変星、十二運の意味を隅々まで理解してなくて、代表的な特徴をかいつまんで理解しているだけだということも浮き彫りになりました。深く命式を読み解くには、基本であるテキストを隅々までしっかりインプットすることが大切であると痛感しました。

今回のプログラムで改めて自分の命式をテキストと照らし合わせてみて、自分のことを「これでいいんだ」と自己受容が進んだ気がします。ちゃんとしっかり「見る」ことは大切ですね。

長くなりましたが、これは思ったことがそのまま言葉になる傷官の仕業かもしれません。

あと、今月の丙の運勢は比肩長生ということで、1日1回うんちくを言う、を実践してみました。

長い動画楽しいので大歓迎です!残り2ヶ月も楽しみにしてます♩

 


(2)

命式ふかふかプログラム面白いです♪
早速、日柱・月柱・年柱の干支と年柱の命式と過去を照らし合わせてみました!
日柱(壬子)、月柱(甲申)、年柱(乙卯)
慶子さんと一緒のお花さんですが、
年柱の通変星が、傷官
蔵干通変星も傷官
十二運星が死
で、
わたしは長女(4つ下に妹がいます)でとにかく父親に厳しく育てられた記憶があります。
父は妹には厳しくなかったです。
妹の蔵干通変星は、食神です☆→怒られたことがない(笑)
え?なんで?わたしだけなんでこんなに怒られるの?と幼心に不満を抱えていました。
母はそんなに厳しくはありませんでしたが、
自分の娘よりもお気に入りの子(いとこや友達)がいるとそちらを可愛がっていたので、わたしが1番ではないんだ、と拗ねていました。
傷官・死はどMと言っていたので、そんな幼少期をわざわざ選び、魂はそんな辛い思いを奥深くで楽しんでいたのかもしれません。当時は、わたしばっかり厳しい!お母さんにも1番に可愛がってもらえない!と悲しく生きていましたけど。
霊は全く見えません^_^;
シックスセンスの映画も演出が怖すぎて、指の間から見てました(笑)ちょっとでも見る面積が小さければ、怖くない気がして…(笑)
でも、母が霊の世界が大好きで、丹波哲郎の本(死後の世界)を愛読していたり、宗教にハマっていたりしたので、小さいころから影響は受けていてスピリチュアルな世界は身近でした。
お花さんなのに、存在だけでかわいいね〜、と言ってもらいたかったんだなぁ、と気づきました。
本性も傷官で、よく「毒舌」と言われてました!しかも、「悪気がないのがわかってたちが悪い」と。とっさに言ってしまうので、まさかそんなに傷つけてるとは思っておらず、
「顔で笑って心で泣いてるんだけど」と言われて、ちょっと気をつけようと思ったのを覚えています。それから50%くらいは毒(とっさに言いたいこと)を抑えるようになりました。
四柱推命って本当に面白いですね!
地球人のテーマと松果体のお話もすごく四柱推命とリンクしていて、毎回月曜日が楽しみで、ワクワクします!
ワークとかあんまり好きじゃないと思っていたけど、興味あるワークなら喜んでやるんだなぁ、と改めて気づきました!
長文すみませんm(_ _)m
3月までよろしくお願いします!

(3)

優子さん、慶子さん、事務局の皆さんこんにちわ。

本日がZoomでのシェア会日なのに、当日のお送りしてすみません。

何かのお役に立てればと思います。
日柱干支・・・庚申
日柱干支が一番大事ということはわかっていたのですが、「庚申」という特殊な干支の為イメージがしずらいというか・・・。
どうしても「お金に縁がある」「お金を追い求める」とかっていうイメージが先行して、初秋の鉄ってのがイメージできません。
お金以外のイメージが出てこないです。鳥海流のイメージでも「軍人」で。
「何よ、軍人って」って感じで。
また、「鉄」ってのも難しいです。鉄をどう見ればいいのか。「金」とも見るようですが。「庚」のイメージを「庚」の方やそうじゃない人にもシェアして欲しいです。

日柱通変星 ・・・ 偏印
めちゃくちゃ要領が良かったです。
勘が良いというか、センス(美的という意味でなくて)があるって感じで、すぐにパパッとできちゃうタイプでした。

日柱  蔵干通変星 ・・・ 正官
長女ということもあって厳しかった記憶があります。
大切にされてたし、お姉ちゃんだからもちろん新品のものを与えられていましたが、そのかわり立派でないといけないという感じでした。
しっかりした子でした。
だから勉強も出来ないといけないし、悪い点数を取るなんてありえないって感じで。
勉強できるようになりなさいとは言われてないけど、「あなたは勉強できるのになぜ悪い点になるの?」って感じでしたね。
要領良くできる偏印と、目上の人(教師、大人)から取り立ててもらえる正官で学校の勉強は良くできました。
そして怒られることがすごく怖かったです。
とにかく怒られたくなかった。だから勉強も頑張ってた。だって良い点数とってたら怒られなくて済むからという理由で(笑)
「この怒られる=私を否定されている、ダメ認定、価値がない設定」が出来上がっていて、大人になってもすごく影響していました。
あと、運動神経も良い方でした。身体を動かすことは今でも大好きです。
9年間「ソフトボール」に打ち込み、インターハイベスト8までやりきりました。
武道や古典的なスポーツをしたわけではありませんが、
センスの偏印と、偏官じゃないですが行動力の正官が影響しているのかな~と思います。  
日柱十二運星 ・・・沐浴 
海外の生活には憧れていました。行ってみたい、住んでみたいと思っていました。洋楽も好きで、良く聞いていました。
そして海外生活に憧れていたので、自力で資金を貯めて大学2年の春休みに短期留学をしましたが、それまでなぜか英語には全く興味なく、「日本人なんやから日本語喋れたらそれで良い。日本に来る外国人が日本語を喋れるようになればいい」と頑なに思っていました。
海外でで<生活>はしたいと思っていたのですが、英語を喋れるようになりたいとは思ってなかったんです(笑)
で、憧れの海外生活をしてみてそこでの環境・生活(カナダのバンクーバー)にドハマりし、この環境にもっといたい。ここにいたい。と心底思い、帰国後すぐに両親に留学したい旨をはなし、反対する両親を説得し3か月後には大学を休学して1年間の語学留学にいきました。
このこれをしたい!と決めたら何が何でも絶対する所は他の星の影響も大きそうです。
あと、沐浴と言えば恋愛の星でもありますが、10代の頃そんなに恋多き人ではありませんでしたが、「この人が好き!付き合いたい!」と思った人とはほぼ付き合うことができました。
ただ、浮気や二股といったことには全く興味がありません。そこの筋は通したいと思っています。これは正官ですね!
お役に立てばうれしいです。
当日になってしまい、すみませんでした。
本日のZoom配信、参加させていただきたいと思っています。

よろしくお願いします。

(4)

今回の自分の干支と年柱の星を「20代の私」として見ることで、とてつもなく癒されました。
両親共に自営業をしていて、20代の私はそこで手伝いをしていたのですが、多額の借金があり、自転車操業的になんとかお店を継続しているけど、父は働かない、母は鬱、弟はあてにならない状況になり、それでも私は全てを守りたくて、奔走していました。
年柱の己の家族想いに
ダブル比肩の頑固さと「自分が!」が出て
絶対に家族はバラバラになっちゃいけない!
絶対に家も店舗も手放したくない!
絶対に「私が」家族も家も店も守る!
と、頑なに思って握りしめてた。
あと、隠れに偏官もあるから、体張って守る感じで、昼は家業を手伝いながら、夜の仕事(田舎のスナック勤め)についたのかな。
お酒も飲めないのにー!笑
父と弟は、さっさと家も店も売ろうと言ってたのに
家族を守りたい気持ちと、また別に冠帯のプライドもあって
家も店もなくなるなんて、カッコ悪い!とか、
全てを守れない自分は許せないという気持ちもあって
本当の本当に、どうにもならなくなるまで、売りに出せなかった。
最後は
家も店も手放して、両親は離婚して、家族もバラバラになった。
もう10年も前のことなのに、まだ思い出したら泣けてたけど、
今回この年柱の読みときをしていくうちに、
あれ?
私の頑固さと、プライドがなかったら、もっと早く解決してたのかも?
私の悲劇のヒロイン劇場に、家族を巻き込んで、長引かせただけ?
と思ったら、もう泣けない!
この出来事の見方が180度変わった。
つきあってくれた家族にありがとうとさえ思えた。
ずーっと握りしめていたこの出来事を、やっと手放すことができた。
長くなりすぎましたが、
年柱の読みとき、やって本当に良かったです!ありがとうございました。
ちなみに、今は両親も弟もそして私も幸せに生きてます。笑
momo